2016年02月11日

スペックと現実

 宮崎駿 著の「泥まみれの虎」を読了。表題の作品は、名戦車指揮官のオットー・カリウスが独ソ戦のさなかの数日間を切り取って作品にしたもの。カリウスの乗っていたのはティーガーTですが、戦闘の最中ではティーガーTのスペック表でT−34と比べて勝っているところ・劣っているところの差がどうのとかはあまり関係なく、上手く立ち回って生き抜くといった表現が当てはまるような気がする。
 まあ、ティーガーTの装甲と主砲の威力を信頼して、そこを頼りにしているところはあるけれど、カリウスなら与えられた戦車がW号でも戦い抜きそうな気がする。戦果はティーガーほどは上がらないでしょうが。
 イラク戦争でのF−14パイロットのインタビューでも、機体の限界性能の高低が語られることなど無く、二人乗りの機体での戦場統制のし易さとか、GPS誘導のJDAMの使い勝手の良さやランターン・ポッドの便利機能とか、運用の柔軟性こそが絶賛されていた。
 兵器の特性というのは、スペック表に現れることのない部分で活躍するのでしょう。スペック上ではパッとしない兵器が、開発国で愛されていたりするのは、そういった部分の優位が戦場で兵士を助けることがあったりするのかも。
 日本で零戦が愛されていたのも、旋回性能や航続距離といったスペック上の特長よりも操縦のし易さや素直さが、ベテランや新人の区別なく戦場での信頼を生んでいたという面もあるわけで。ここら辺を理解せずに「防御力の皆無な零戦を使い続けたのは、旧日本軍の人命軽視の表れ」とか言っちゃうようだと、日本人が戦争について理解しようという努力はまだまだ成果として現れていないな、と思うわけで。
 って、私もまだ実感しているとは言いがたい段階なので、他人の事はあまり言ってはいけない。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする