2016年04月22日

内田百闃に阿房旅行(ただし偶然)

 昨日は、陽気がよく体調もばっちりだったので、阿房旅行を決行しました。
 コースは、まず小田原へ東海道線で行き、小田原城址公園に藤棚があったと記憶していたので見に行く。数年前に来たときは、木が古くて少々草臥れていたような気がしたが、見てみると枝を伸ばした藤の木はそこここに咲きかけの藤をたっぷり垂らしていた。
 裏道やら路地やらを通り、東海道線と小田急線(元箱根登山鉄道)との分岐点をあっちこっちから眺めつつ、早川駅へと向かう。お昼前で小腹が減っていて、この後はコンビニのあてが無かったので、ここらで昼食にする。線路沿いの国道をまたぐ歩道橋があり、その上だと東海道線に新幹線、遠景に小田急線も見えるという素晴らしいシチュエーションだったので、セブンイレブンでおにぎり二個を買ってきて歩道橋上で早めのお昼ごはん。
 こぢんまりしてとてもかわいい早川駅の駅舎を眺めた後、根府川駅方面へと歩こうとした時、近くの住宅の車寄せみたいに道から凹んだ敷地に、猫がいた。一匹は声を上げつつ決して近寄らなかったけれども、ふと出てきた一匹が首を掻かれている内に気持ち良くなり、その場にべたっと座り込む。そしてべろべろ舐める。手の平がべとべとになったところで満足したようで、ふと歩いていってしまった。
 猫に力をもらった後、本日の山場である海岸沿いの国道へと向かった。裏道が合流する直前に、鳥居と本殿の間に東海道線が通る神社を見つけ、お参り。阿房旅行、神社を見かけたらお参りするようにしたい。城址公園の二宮尊徳神社にも参りました。
 国道は歩道の無いスリリングな道。有料道路の合間にある無料区間の道だけれども、ひっきりなしにトラックや乗用車が行きかう。足元に注意してなるべく端を歩く。万一、躓いて車道側に転んだら死ぬ。
 自動車しか通らない道なのに、道端に燻製専門店やみかんの直売所があったりする。
 崖に張り付くようにして通る国道を延々と歩いていくと、不意に山側へ谷が切り込み、集落が現れる。釣り人と、釣り人向け駐車場を管理する親父さんの他は、人影の無い不思議な空間だった。ここでも小さな神社にお参り。賽銭箱がどこにもない。町内で寄付を募っているのだろう。
 そしてまた、国道へ。狭い橋を通り抜け、雑草だらけの道端を踏み越えていくと、ようやく交差点へと出る。県道が根府川駅へ向かっているのだ。ここで一安心。ようやく人の道を歩ける。途中、関東大震災の時に道路が崩壊し、復旧が大変だったという事を記す昭和初めの頃の石碑を見たり、駅に着く直前に普通電車が出発してしまったりした。
 根府川駅は、小さく白い瀟洒な駅舎で、改札を入ったところに金魚のいる池があり、南側の片面ホームからは海を背景に八重の桜が咲いているという美しい駅だった。かつては二本の島式ホームだったものが、今は最も南の線路が保線用車両の留置線になっていて、南側にその片面ホームと、山側に島式ホームという二面三線のいわゆる「国鉄型ホーム」になっている。次に出る下り電車は、一時間に一本の下りが使う島式ホームの真ん中の線から出るという。先頭車両にかぶりつき、中線からポイントを渡って発車する様子を観察しつつ、次の行き先熱海へ向かった。
 熱海駅はずっと昔、小学生の頃に祖父が小田原から熱海までの一区間を新幹線に乗せてくれた時に来たことがあるだけだった。少し散策したように記憶している。漁村に干物、日差しのイメージがあった。今日では、アーケード街が海や中心街の方向へ伸びていて、近年の観光地っぽく、しかしどこか昭和が香っている、まったりしたい町だった。ところが、次に行きたい沼津に行く電車がすぐに出てしまう。逃すと三十分近く待たされる。惜しいがさっさと駅に戻り、静岡方面の下り211系電車に乗ってしまった。
 熱海以東では引退してしまった211系には、本当に久しぶりに乗った。私の乗った先頭車両は、厳密に言えば茅ヶ崎近辺では運用されていないクモハだったが、三つドアやモーターの音など懐かしかった。
 沼津ではとりあえず下車し、目的も無く駅前を散策する。阿房旅行は目的も無く旅行のための旅行をするものなのだから、目的など無いのが当たり前なのだ。地元企業のスーパーの品ぞろえを眺めたり、アーケード街のリサイクルショップへ親父さんが腕組みしている前へ入ってみたり、和菓子屋さんで何か食べたいものがないか探したり、聞いたことの無い100均ショップを冷やかしたりした。アニメイトも覗いてみた。主婦や子供の行くところばかりだな。
 この頃には足も痛くなっていたので、帰宅することにする。帰り道は御殿場線へと遠回りして、かつて東海道本線だった頃の遺構を探そうという趣旨。JR東海顔とも言うべき313系二両編成には初めて乗った。ワンマン運転の電車も初めてである。
 区間阿房列車で百關謳カが乗ったのとは逆向きに、上り列車で行く。御殿場線で面白いのは、随所にかつて複線だった時代の遺構があること。線路の乗っている路盤を見るとわかるのだが、線路の下に敷いてある砂利=バラストの横にも更にスペースがある。人家はそのスペースを空けた向こうに立っている。昔はそこに線路が敷いてあり、上下線が分離運転されていたのだ。丹那トンネルができて熱海回りが東海道本線になり、第二次大戦中の鉄材供与の際に不要不急路線ということで片方のレールが取られてしまい、単線の路線になったのだった。
 今でも、橋の付け根である橋台が残っていたり、橋脚も残されていたり、電車がトンネルに入っていく時には隣に線路の残っていないトンネルが並んでいるのが見えたり、常に複線だった頃の痕跡が御殿場線に寄り添っている。
 百關謳カが驚いたスイッチバックの後も、残っている。蒸気機関車が客車を引っ張っていた頃は、途中の急勾配にある駅へ停車すると非力な蒸気では登る方向へ出発できなくなるので、線路から水平になるような側線を作ってホームを作り、そこを駅とした。出発する時はバックして逆方向にも作られた水平な側線へ入り、その水平区間で勢いをつけて勾配へ登っていくのである。その、水平を作るために作られた盛り土がまだ残っている。
 この様に、御殿場線は車窓に見どころの盛りだくさんな路線なのである。
 が。
 途中駅で大量に乗り込んできた女子高生軍団が、なぜか電車の中で猥談を始めるという事態になる。居心地の悪い思いをしかけたが、考えてみれば女子高生の下ネタ話などを聴く機会は日常には無いので、これも旅の非日常の一つだと考え、遺構探しのついでに拝聴する。
 国府津駅で東海道線に乗り換えた時には、疲労で頭痛がしていた。でも、たっぷりと見どころのあるいい旅でした。

 それで、帰ってきてネットをしていて知ったのですが、この日は内田百關謳カの命日だったのでした。偶然とはいえ、何か縁を感じたくなる日でした。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする