2011年02月01日

〈記事修正〉貴重な教科書、ただし罠あり

 投稿小説はレポート用紙半分ほど。
 憂鬱な気分のままふさぎ込むのはよくない、と思ったので、この寒い中を歩いてきました。そしてふと入った古書店の100円コーナーでこんな本を見つけました。
「核先制攻撃症候群 ミサイル設計技師の告発」(R.C.オルドリッジ著 服部 学 訳 岩波新書)
 まだ読み始めなのですが、まえがきを要約してみましょう。

 著者はロッキード社のミサイル技師だったが、開発しているミサイルは例えばミサイルサイロ(地下発射基地)のような堅固な目標を破壊するためのものだった。アメリカは自分の国が核攻撃を受けてから反撃としてしか核ミサイルを使わないと国民に説明しているのに、核戦争ではソ連は第一撃でミサイルを全て発射してしまうのだから、ミサイルサイロに残っているソ連のミサイルなど、アメリカが核ミサイルを使う時には無いはずなのだ。 アメリカは、自分が開発しているミサイルによって、自ら第一撃をソ連のミサイルサイロに打ち込もうとしているに違いない。私はそれを告発するために会社を辞めて活動している。

 というものでした。
 私は後世の人間なので、後出しジャンケンのように過去の書物の間違いを発見することができます。この前書きで誤っているところは……

 核戦争では、一度に全ての核ミサイルを発射してしまうという前提

です。私の知る範囲では、アメリカ軍は核戦争で生き残る算段を考えていました。例えば、アメリカ陸軍は核攻撃によって上級司令部が全滅してしまうことを危惧し、師団の単位で独立して戦い続けられるような「ペントミック師団」という編成を考えました。
 また、今でもアメリカの首脳が来日するとやってくる、ボーイング747を改造したいわゆる「エアフォース・ワン」、E−4B NEACP(国家緊急空中指揮所)は、核戦争で大都市が破壊された場合に政府の機能を保つため、機上からアメリカ軍や連邦機関を統制するための通信基地機能を持った飛行機です。
 つまり、アメリカは核戦争が起こっても生き残り、ソ連の核攻撃の後も戦い続けるつもりでいました。それは、ソ連側も同じでしょう。何らかのきっかけにより双方が核ミサイルを撃った後、どちらか一方が核ミサイルを撃ち尽くし、もう一方が核ミサイルを一部温存していたら、温存している側は生き残っている敵を一方的に攻撃できる事になります。そのために、核の第一撃を終えた後も、敵よりも多くの核ミサイルを手元に残そうと一部を温存するはずです。
 核戦争後にも、なお、核の均衡は求められるのです。
 核の第一撃の時には、敵が核ミサイルを温存できないよう、発射済みとみられるミサイルサイロにも核弾頭が振り分けられると考えられます。ソ連は、核ミサイル発射装置の行方をくらますために、列車やトラックに装置を乗せてシベリアを移動させましたし、双方のミサイル原潜は海中に身を潜ませたのです。

 ……といった感じで、この本の過ちや、疑問に感じた点を洗っていけば、自分の中に相応の知識体系が組み上がるのではないかと考えているのです。
 それに、冷戦時代に東西両陣営がどのように核戦争を戦い抜こうとしていたのか、というテーマは継続して興味を持っている事なので、ミサイル技師として解説した本書執筆時点(1970年代終わり頃)のアメリカ軍核装備の段は貴重な教科書になると思います。
 まあ、屈折した勉強方法だとは思いますけどね。
注:エアフォース・ワンというコードネームは、大統領が乗っている時だけに与えられるものです。大統領が降りると、別のコードネームが与えられるのですよ。
タグ:核戦争
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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