2015年09月07日

ケータイ小説一言考

 今日も天気が悪いので資料仕事。別の資料にあたった後、文体を変えるかどうか考え込む。

 先日、小説技術の本を読んでいて思ったのだけれど、ケータイ小説が流行った理由は、読者にぴったりと合うような書簡体小説だったからだろう。当時、良質な批評に行き当たったことがなかったのでわからないけれども、同じように考えた人はいるだろう。
 書簡体小説というのは、今まさに手紙を書いているところ、といった体で書かれた小説のことで、臨場感があることから過去に一大ブームになったらしい。
 手紙でブームになるなら、携帯電話でもブームを作れるだろう。
 それで、それまでに小説を読んだことの無い人に、初歩的ではあっても小説を読む面白さを教えることができた点で、実は画期的だったのではないかとも思った。後出しじゃんけんみたいな考察だが。
 残念なのは、ケータイ小説にはまった人向けにもっとディープな小説へと誘導するメディアが現れなかったこと。真面目な論考を読んだことがないと書いたが、同様に第二次ブームを起こそうと努力した書き手も現れなかったようにも思われるのは、書き手の側でもやはりケータイ小説を真面目に考える人がいなかったからなのではないか。

 今は「小説家になろう」のような投稿サイトも現れたが、あそこは潜在的な書き手=アマチュア作家が読みに来るところという点で、ケータイ小説とは異なるジャンルだと思う。ケータイ小説は、書き手になることなど考えたことがない層へ小説を読ませたという点で、現在でも替わるものがないユニークな存在だった。「小説の技巧」を読んでいて、そう感じた次第です。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | おたく的批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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