2016年05月03日

「イラン空軍のF−14トムキャット飛行隊(オスプレイ エアコンバットシリーズ スペシャルエディション 2)」(トム・クーパー&ファルザード・ビショップ 共著 平田 光夫 訳 大日本絵画)読了

 今日、「イラン空軍のF−14トムキャット飛行隊(オスプレイ エアコンバットシリーズ スペシャルエディション 2)」(トム・クーパー&ファルザード・ビショップ 共著 平田 光夫 訳 大日本絵画)を読了しました。
 わたくしの大好きなトムキャットの本です。
 先例の無い本です。
 イラン空軍が、イランイラク戦争でF−14を運用したらしいという話は、日本語で読める本でも少し書かれていましたが、結局はよくわからないというのが実情でした。
 この本では、イラン空軍のトムキャットライダーにインタビューして、F−14がどう戦ったかという情報を調べたもので、トムキャットがイラク軍機を撃墜した事例が多数紹介されています。
 空中戦の戦果を扱うに際して、共通する問題があります。どの時代、どの軍隊でも、撃墜の数が過大に報告されているというものです。これは、撃墜の認定を出すときに、当事者以外に確認した者がいた場合に限るとか、厳格なルールを定めれば実際の撃墜数により近づくのですが、現代戦の場合は攻撃手段のミサイルが射程を伸ばしたこともあって、視界の遥か外で撃墜できるようになり、確実性は下がっていると思われます。
 イラン空軍のF−14の場合、イスラム革命によって糾弾すべき対象となった王政時代のエリートたちが主なパイロット層だったために、政治の側でF−14の戦果を過少に見積もってもいます。やられたイラク側も、今の状況ではフセイン時代の戦争の情報など出てくるわけが無く、イランイラク戦争の空中戦で何が本当に起こっていたのか、客観的に分析することはほぼ不可能な状態です。
 その事を踏まえた上で、本書の内容、F−14の戦いぶりを眺めてみると、従来の情報、部品の供給が絶たれてほとんど戦争の役に立たなかったという通説に疑問を抱かせるには充分です。細部の描写に説得力があるからです。
 例えば、エンジンのコンプレッサー・ストールの解決方法。コンプレッサー・ストールというのは、素人考えで間違っているかも知れませんが、エンジンの中で回っている空気圧縮用のブレード(扇風機のお化けみたいなもの)の一部で失速が起こり、それによって回転しているブレードの一部に偏った力がかかって、振動が起こり、最終的にブレードが破壊されエンジンが壊れるという問題です。F−14ではスロットル操作が速すぎるとこれが起こりやすいというのは有名な問題ですが、イラン空軍機のパイロットは離陸時のコンプレッサー・ストールの解決方法を見出します。その時のエンジンの挙動や、解決法は非常に納得できます。
 イラク空軍側の、F−14の搭載するAWG−9 パルス・ドップラー・レーダーに対抗する戦術というのも、湾岸戦争の時に米海軍機に仕掛けたというので有名になりましたが、イラク側がイランに初めて仕掛けた状況というのも読み取れます。
 逆に、ホンマかいな、と首を傾げたくなる描写もあります。個人的に、顕著に思われたのがトムキャットの機動時のAOA角度(迎え角とも言います)。旋回している最中の、移動方向に対して機首をどれだけ上向きに傾けているかという角度で、そとから見ているとまるでドリフトしているように、尾部をスライドさせて飛んでいる様に見えます。本書によると、F−14はAOA75度にまで傾けられるといいます。旋回中には、ほとんど旋回半径の真ん中を向いて飛んでいるようなものです。
 しかし、これほどの迎え角で飛べる飛行機は、F−16以降の格闘戦を重視した時代の戦闘機が、機体の全体のデザインを工夫した上で叩き出せる数字です。実験機であるX−31が、AOA90度以上、機首を反対側へ向けて飛んだことも有名です。
 F−14のAOA75度は本当だろうか? その答えになりそうな描写が数ページ後ろ(50ページ)に書かれています。後ろを取った敵機に対し、映画トップガンでの、トム・クルーズ扮する主人公マーヴェリックがやったように、機首を急激に上げて機体を立て、空気抵抗で急減速させて敵機が前に飛び出したところを攻撃したとあります。
 この様に、旋回中に維持するというのではなく、一時的に機首をAOA75度に立てるというのなら、できないこともなさそうです。この辺り、インタビュアーにもうちょっと突っ込んでいただきたかった。
 その他、アメリカ人が戦争中にイランを密かに支援したという話も書かれていますが、その辺りは政府のものなのか、密輸業者の仕業なのかもわかりません。
 この様に、内容をどう受け止めるべきか、正直なところわからない部分もあるのですが、それでも認識を改めるべきと思わされる描写も確かにあります。現在のイランとイラク両国の状況からいって、これ以上の内容のものが出てくることも無さそうです。
 そして、本書の内容が今後の書籍の世界にどれだけ反映されるのか、こういったことも書かれているというように言及されるのか、それとも完全に無視されるのか、そんなことが気にかかります。

 とまあ、むつかしいことはうっちゃって、イラン空軍トムキャットのプラモデルが作りたくなりました!
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2016年02月12日

「第三次世界大戦秘史」(J.G.バラード 著 福武文庫)読了

 先日、神保町で買ってきた「第三次世界大戦秘史」(J.G.バラード 著 福武文庫)を読了しました。
 SFの巨人の一人、バラードの短編集。物語色の強いSF作品と、ニューウェーブと呼ばれる実験色の強い作品とが半々で載っています。表題作は物語の方の短編で、諧謔色が強めのアメリカを舞台にしたもの。冒頭の「ウォー・フィーバー」は、最近の日本SFで言うと伊藤計劃氏のもののような趣を持つ、現代と地続きのように思われる、しかし世界観が一変するような作品で、一九八九年に書かれたとは思えない新鮮さがあります。優れた小説は古びないという言葉を裏付けるように思われます。
 後半のものは、時代を遡ればヌーヴォー・ロマンと言われる、物語の枠を外して小説の可能性を探ることを目的に据えた一連の作品群の系譜に連なる小説で、小説というものに親しんでいない読者の方には難解な作品ですが、小説を読みすぎて作品の中途で落ちや結末が読めてしまうような小説ずれした私の様な人間には、予測はおろかストーリーの単純な解読さえ拒絶するようなこれら分野は最後に残されたパラダイスのように感じられます。
 この後半作品の非現実さに、読後は現実感が薄れ、ふわふわと覚束ない足取りで冬の夕暮れの中を駅前の居酒屋へと出かけて行きました。
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2015年09月30日

「皆勤の徒」(酉島 伝法 著 創元SF文庫)を読了

 今日は思索の一日。なんとなく思考の道筋はたった気がする。

 伊勢でだいぶ読み進めていた「皆勤の徒」(酉島 伝法 著 創元SF文庫)を、つい先ほど読み終わりました。
 漢字で世界観を一歩ずつ、それこそ賽の河原で積み上げる石のように一つずつ作り上げた独特の世界を作り上げた労作。ちょっと語る言葉が思いつかない。遠い未来を描いた作品としても面白いと思いました。
 個人的に、レムの薫陶を受けているので、人間主義的なものを引きずった架空世界の話にはいささか辟易するのですが、この作品の場合は姿も意識も変容した人類がそれでも人間性を引きずっているのが、人間を描く上で非常に重要なものになっていた。まだまだ私は若輩者です。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

「F−14トムキャット オペレーション イラキフリーダム [イラクの自由作戦のアメリカ海軍F−14トムキャット飛行隊]」(オスプレイコンバットシリーズ スペシャルエディション 大日本絵画)読了

 投稿小説はきりのいいところまで書ける。数行文だけれど、展開を変えられる部分までいけたのは大きい。

 上記の本を読了しました。
 内容は、湾岸戦争後のペルシア湾地域でのトムキャット搭乗員のインタビュー記事となります。機体のスペックどうこうという話ではなく、F−14がどのように役立ったかというものです。装備しているコンピュータがこの任務に必須になった、航続距離が長いからこうした役目を仰せつかった、二人乗りだからこういう任務ができた、そんな話です。
 湾岸戦争の後には、大規模な空対空戦闘が発生していないので、艦隊防空のために作られたF−14の本ですが空中戦の話はほとんどありません。華々しい派手なものではありませんが、戦闘の実情はこうした地味で地道なものだということです。
 日本の場合、予算や政治によって決められた定数の関係から、航空自衛隊は地上部隊と連携した対地攻撃に多くの戦力を割けません。ですから、日本国内では味方地上部隊に近接した目標に対する近接航空支援のことが話題になることはありません。米軍のした誤爆やら、自衛隊の兵器を禁止したり揶揄する時くらいですね。
 しかし、日本人には人気のあるトムキャットに関連する本書が読まれることによって、馴染みの薄いこうした任務の知識や現代の戦争で行われている戦闘の実態の理解が広まるといいですね。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

「元気の出る俳句」(倉坂 鬼一郎 著 幻冬舎新書)読了

 投稿小説は、自分の書けることや書きたいことをまとめていかなければならないと感じているところ。書きたいと思うことのハードルばかり積み重ねていて、実際に書く文章がまったく思いつかないので、今までと違うアプローチをする必要性を感じている。

 少しずつ味読していた「元気の出る俳句」(倉坂 鬼一郎 著 幻冬舎新書)を読み終わりました。
 倉坂先生の俳句評は、古書店で少しずつ集めていた「幻想文学」誌にて知り、チョイスの面白さと評価軸が個人的なツボに入ったので、2012年に出版された一冊目の新書アンソロジー「怖い俳句」(幻冬舎新書)は大注目していました。
 その一冊目のアンソロジー「怖い俳句」は、読者が怖さを感じるであろう俳句をテーマに様々な俳句が紹介されていました。恐怖というのは、人間の精神、感情、つまり皮膚の内側に生じるものなので、怖い俳句を紹介していく文章も次第と人体の内側、裏側へと迫っていくものとなっていました。五感では決して捉えられない、本文から引用するなら「原形質のぶよぶよしたもの」にいかに迫れるか、具体的なテクニックや思考の方法などを解説しながら、読者の中にある恐怖という感情そのものへと迫っていくのが、「怖い俳句」でした。その典型なのが、阿部青鞋(あべせいあい)の項目だと思います。
 かわって二冊目のアンソロジー「元気が出る俳句」では、同じ感情でも元気が出るという複数の感情を伴うテーマです。人が元気になるには、何らかの働きかけがあったり、あるいは本人が五感から何らかの刺激を受けることになります。なので、本書では人間が皮膚で感じるもの、あるいは外部で生じたなにがしかの物事を詠んだ俳句を扱っています。「怖い俳句」では、人間の裏側へと迫るあまりに俳句から作者が徐々に消えていくのに対して、「元気が出る俳句」では作者やそこに詠まれた他者の存在が大きな比重を占めます。作者は何を見て好ましく思ったのか、また他者が喜び嬉しがっているのはなんのためか。人間が元気を得るためには、他者の幸せな様子を感じることが必要なのだと、本書を読んでいて思わされます。基本的にたった十七音の俳句ですが、それが人間の精神へと働きかけ、実際には自分以外の人間など目にしていないにも関わらず他者からの幸せを受け取り、自らの幸せとして生きるための糧とする。そのように考えてみると、言葉というのはすごいものです。

 ちなみに、俳句の中には「短夜や乳(ち)ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてっちまをか)」(竹下しづの女 「怖い俳句」より)や「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」(三橋鷹女 「元気が出る俳句」より)といったどこか不健全なものもありますが、人が悩み落ち込み生きる力を失いかけている時には、知識人とやらが書く流行の啓発書や心理学本などより、不健全な俳句の方がよほど為になると思っていたりもします。
 だって、自分が他人に表立って言えないことを、堂々と俳句として発表されると、すかっとするでしょ?
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする