2011年09月08日

ミステリ界の「アンチラノベ」小説

 2ちゃんまとめで読んだ意見。
「ラノベには、アンチラノベ小説が無い」
 それを見て思い出したのは、浦賀和宏著「松浦純菜の静かな世界」(講談社ノベルス(新書))から始まる松浦純菜シリーズ。
 全九冊で、気軽にお勧めできる分量ではないけれども、ラノベ的な要素を含めて、いろんな小説のアンチ要素をぶち込んだ内容で、ラノベやアニメを嗜んでいる方々には驚愕・暗澹を味あわせてくれること必至かと思われる。
 版元がミステリ向きなので、ミステリを装った内容になっているのだが、何冊目かで語られる「新本格ミステリ」解説がそのままメタフィクション的に本書の内容解説になっていて、その解説の通りアンチミステリとして書かれているため、ジャンル小説的に読んでいくと面を食らう。
 しかも、巻を追うごとに状況がひっくり返されていき、加速度的に非現実感が溢れる。その中で、ラノベ的な設定も容赦なくひっぺがされて容易に崩壊する。

 そんな感じで、ラノベ要素が疑われ否定されるという意味で「アンチラノベ」的な本シリーズなのだけれど、版元のためか話題に上がっているのを見たことが無い。だからここで、

 面白いよ

と一言つぶやいてみます。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

SFマガジン 2011年8月号「初音ミク」特集 雑感

 店頭で見かけた瞬間に、手にとってレジへ向かったこの本です。前回までの話がわからない連載小説以外に目を通しました。
 ミク特集自体は、例えば「ユリイカ」増刊号などで割と密度の高い特集が組まれていましたが、文芸誌であるSFマガジンのキモはやはりミクを題材にしたSF小説でしょう。
 ネタバレ無しでいきますが、三本ともそれぞれ異なるアプローチでミクを使った短編小説を描かれています。ミクの物語は、キャラクターデザインを担当したKEI氏が自ら描いた「初音ミックス」全三巻やアンソロジー、数々の二次創作がありますが、本誌の掲載作品はSFならではの切り口で、それぞれ「ミクのいる世界」を実現させています(尻Pこと野尻抱介氏の作品では、「小隅レイ」と「ピアピア動画」という架空の名前が使われていますが)。
 活字という制約と長所を生かすには、という工夫がなされた三編です。ミクのファンの方々にも、Pの方々にも、なにがしかのインスピレイションが降ってくるんじゃないでしょうか。
 ちなみに、野尻抱介氏の小説はシリーズの三作目になっていて、あと一本で単行本化……? なんてことが解説に書いてあります。是非、是非とも続編と単行本化を!
 その他の記事では、最新の「トヨタとミク」に関する考察や、アメリカでのライブについてのインタビューなど後発特集ならではの内容があります。個人的には、初音ミクに関する法律問題の記事が面白いです。将来、開発したクリプトンが予想もしなかった問題が出来したときに、一次資料の一つとして活用される時がこないといいのですが。

 ミク特集以外では、神林長平氏による、某氏の作品に対する批評的なメタフィクションがとても印象深く、もう一本の読み切り短編「天使」(ピーター・ワッツ著)はミク特集に合わせて翻訳をぶつけてきたのか、人工知能を持った戦闘機械を題材にした、割とホットなテーマの作品です。触発されるものがあったのですが、初音ミクを目的に手に取った方々にも得る物がある小説ですよ。中国や台湾で盛んになっている擬人化にも、向いている話かも。

 涼しくてPCの調子がいいので、久々の更新でした。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

「あなたの人生の物語」に対する感想ノート

 甥っ子と遊んだら大いに気晴らしになったので、今日もついでに休日。それで、積んでおいた「あなたの人生の物語」(テッド・チャン著 ハヤカワSF文庫)を読む。

 ネタバレを含むので「続きを読む」で。
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posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

「宇宙戦争」(H・G・ウェルズ著)の感想

 今日、中央公園で桑田佳祐さんの復活記念祭が行われたので、散歩がてらに覗いてみた。食べ物の出店がたくさん出てたので、腹を減らしていけばよかった。聞くところによると、祭りの最後に桑田さんが現れて、二曲ほど歌ったという。そのあと県道を挟んだところにある文化会館でコンサート。ホントに元気になられましたね。
 スタニスワフ・レムの文学エッセイで採り上げられていたので、「宇宙戦争」(H・G・ウェルズ著 ハヤカワSF文庫)を読んでみました。近代宇宙侵略者モノの始祖ともいえる物語ですが、エンターテインメントとして作られる近年の映画や日本のアニメなどと比べると、ヒーロー不在のパニック物語としての傾向が大きいです。
 レムは、この原作「宇宙戦争」を指して、人間という種が宇宙からの侵略者と相対した時の心理を活写したものとして評価していますが、それは「特権的な主人公の不在」という物語の構造を指しています。エンターテインメントでは、物語を左右する存在として、物語世界の他の人間とは異なる主人公が登場します。近年の侵略モノでは、そうした主人公たちの活躍で侵略者や悪が滅ぼされる、そういった構造を取ります。ですが、「宇宙戦争」は侵略者を撃退できる地球人は存在せず、人間社会が壊れていくさまが細かく描写されます。主人公という存在は、作家にとって「たまたま選んだだけで、他の大勢と変わらない人間」です。その証拠に、主人公の弟の視点が導入され、文体もドキュメントぽく後年に明かされた事実を交えてストーリーが進められていきます。
 そうした普遍性が、作品発表の半世紀後に起こった第二次大戦での被占領地域の政情を予言するような、時代によらない人間の本質を描くことを可能にしているのだと思います。レムは、そのような普遍性をSFが失ってしまったことを嘆いています。しかし、本邦では小松左京先生が「宇宙戦争」的なSFを書いています。エンターテインメントが、自分をあたかも特権的な存在として夢見るツールだとすると、「宇宙戦争」やレム、小松左京先生の小説は、自分という人間が作品の中の極限状況へと叩き込むことが出来る、バーチャルリアリティ物語、と言うことができるのではないでしょうか。

 最近の映画版、トム・クルーズ主演の「宇宙戦争」は、割と原作の意図に近い物として仕上げられているように思えますね。さすがスピルバーグ監督。

謝罪と訂正:桑田佳祐さんの復活記念祭にゲストで本人が出たらしいと書きましたが、どうやらデマだったようです。ここに訂正して謝罪いたします。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

レムの描く最も戦闘的な惑星間交流譚「砂漠の惑星」読了

 投稿小説は、短編をレポート用紙半分弱ほど進める。書きにくい時期というのは、自分でも予期しない言葉が飛び出し、そこから続きを進めることが困難になってしまう。勝手に自動筆記な感じ。

 「砂漠の惑星」(スタニスワフ・レム著 ハヤカワ文庫SF)を読みました。これはレムの描く「惑星間の知的交流」三部作の一冊です。三部作はそれぞれ特徴的な知的交流を描いていて、地球の人間にとって異なる知性を持つ存在との交流はいずれも困難を極めるだろう、というレムのメッセージが強く出ているものです。そのメッセージは、後の長編「天の声」や「大失敗」にも引き継がれていて、人間にとっての限界をあぶり出し人間という存在を見極めるという意図が見て取れます。
 と、そのように書くと、異工同曲のように思われるかも知れませんが、裏を返してみれば読者にとって予想のつかないような奇妙な知的生命体を、知識や思想を駆使して産み出し続けたという事でもあります。「砂漠の惑星」と三部作を成す「ソラリスの陽のもとに」(ハヤカワ文庫SF 原語のポーランド語から翻訳した単行本「ソラリス」(国書刊行会)もあり)と「エデン」は、いずれも全く異なる困難さを描いていて、人間と融和を図れる存在や交流の可能な存在よりも、むしろ交流の不可能な存在の方がバリエーションが豊かなのかとも思わせます。

 私が読んだことのあるレムの長編は、「ソラリスの陽のもとに」「エデン」「砂漠の惑星」「天の声」「枯草熱」「大失敗」の六作になりましたが、今回読んだ「砂漠の惑星」で顕著なのは戦闘描写です。これは新装版の解説をなさっている上遠野浩平氏も書かれています。個人的に印象深いのは、人類側が繰り出す最強の機械に「戦車」という身も蓋もない名称が与えられている事(一応、極地探索用のスタンドアローン型無人探査機なのですが)と、戦闘シーンに構成上の工夫を凝らしている事でした。
 具体的には、最大の見せ場である二つの戦闘シーンに対し、最初のシーンは読者を高揚させるよう最初のシーンの前に充分な描写をしています。二番目の戦闘シーンは不意を衝いた形で、しかも少ない描写で書くことで読者の側に想像力を喚起させるようになっています。人間は書かれた物を読むことより、自らの頭で考えたことの方が印象に残るものなので、この二つでセットになった戦闘描写は「砂漠の惑星」読者にとって最も鮮烈なものになったのではないかと思います。
 戦闘のシーンにこれだけの印象を残すのは、既読の六冊の中では「砂漠の惑星」の他にないと思います。

 もう一つは、「砂漠の惑星」よりもむしろ「エデン」に顕著だと思うのですが、人間の文明とは異なる秩序を持った造形物や構造物を描く時の、レムの想像力です。「エデン」では、人間社会とは全く異なる秩序を持った知的生命が描かれるのですが、その秩序のために存在する文明が産み出した工業製品はシンメトリックでありながら不可解な存在として書かれます。
 この、「謎のシンメトリック」を描くレムの筆が、私のとても狭く深いツボを見事にヒットしています。この不思議さは、クトゥルー神話と比べるととても対称的に浮かび上がると思います。
 クトゥルー神話を彩る謎の秩序は、とても感情的な形容詞を以て描かれます。名状しがたい、恐怖を感じさせずにはいられない、物体です。対して、レムの世界の謎の秩序は、具体的でありながら目的の読み取れないものです。三角や四角、円錐や棒で構成された、森や都市や点線、道などです。
 この異なる才能が描き出す方向性の違った謎秩序は、私が小説に求めているものの一つです。レムのユーモア短編が、この想像力をどのように花開かせているのか、未読の作品群を思うととても楽しみです。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする