2010年10月22日

渡辺洋二さんが引退(航空ファン2010年12月号より)

 航空戦記作家の渡辺洋二さんが、航空ファン12月号の誌上で引退を表明いたしました。
 当事者からの聞き書きという取材スタイルもさることながら、当時の状況を冷静に捉え戦場や戦争そのものの勝因・敗因を強い説得力を以て書かれた、稀少な方だと思います。
 戦後数十年を経てから証言を得る過程で発生してしまう記憶違いや偽証といった、人を相手にした仕事には起こってしまう難しい問題に対して、引退の口上に書かれた一文にも書かれていますし、過去の航空ファン誌の誌上に掲載された訂正記事が載ったこともあります。真摯な態度で仕事と向き合ってきたその姿勢に、個人的に学ぶ物も多かったです。
 そして、敗戦という悲劇へ突き進んでしまった歴史の中の「何故」から、現代日本でも変わらずに存在し続ける当時の悲劇の要因を読み取ることができ、今の自分に何が出来るのかを考えさせていただきました。歴史を学ぶということは、翻って現在をいかに生きるべきかをも学ぶことだと、著書を読む内に実感しました。
 一読者としては、人生である程度自由にお金が使えるようになった時には、既に朝日ソノラマ戦記シリーズが廃刊となっていて、文春文庫ほかで復刊・改訂されたもの以外はあまり手元に無いので、未入手の著書を探していきたいと思っています。あと、大著ゆえに高価な著作も、徐々に手に入れていきたいと考えています。
 ありがとうございました。
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2010年09月09日

甥っ子出現と平山春日対談本第二弾

 昨日、甥っ子が来茅。
 今日は長編3をレポート用紙一枚分進める。

 扶桑社新書から、小説家の平山夢明氏と精神科医の春日武彦氏の対談本第二弾「無力感は狂いのはじまり 「狂い」の構造2」が出ました。
 この本では、箴言らしき言葉がぽろぽろとこぼれ出てくるような感があります。第一弾の「「狂い」の構造〜人はいかにして狂っていくのか?〜」では、悪い事、狂った事は被害者意識が産み出す、という話がありました。俺はこんなに可哀想な人間なんだから、このくらいの事はしてもいいだろう、と自分の中で物語を作り、自己の正当化をしてしまうという事です。
 後は、万引きに関する話で、ただで盗める物に金を払いたくないという考えの話。盗めばただなのに、きちんと金を払わなければいけないのは理不尽だ、もったいない、という身勝手さ。万引きやってるバカが増えているという話を見聞きするとこの話を思い出し、また最近は書店で雑紙の紙面を写メで撮っていて、叱られたら「何でいけないの?」とネットに書いた主婦の話題もそうだし、マジコンやP2Pでの違法動画なんかもそうだけれど、物理的にできてしまう事を取り締まられるのは理不尽、というダメでなめた話というのもなんとなくこの辺りに落ち着きそうな気がします。
 で、ワハハと笑いながら読んだりしているわけですが、その一方で心の底では「自分の中にもそういう一面はあるな」と。「そういう風に考えた事はある」と思って、鳥肌が立つような思いもします、正直な所。
 この対談では、どうにもオカシイ所、人が狂っていると思われる所っていうのを、割と正論というか、普通はこうだよね、でもそれをしないのは怠慢だよ、と話題転換していきます。その、反論できない部分、私の中の怠惰な心を鋭く突き刺してきます。第一弾の春日先生の前書きで、この本はヒール(悪役)です、と書かれているのも、そこのところに所以があるのではないかと思います。
 そして、いわゆる心の病を背負って、それをなんとかなだめすかして折り合いを付け、世の中で暮らしている人にとっては、その正論は劇薬でもあったりします。「ここから先はいいや」「今のところはここまで」と、徐々に安全地帯を作っていって社会に適応していくような人にとっては、「いや、お前がそこから先をしないのは、どこかおかしいからだよ。普通はできるよ」と言われるのは、努力や葛藤を否定されるようでかなり不愉快だと思います。
 だからこの本は、健全に健康に暮らしている人にだけ、読んで欲しいと思います。
 少なくとも、精神科医のところに通っている(通っていた)人は、まず読まない方がいいでしょう。
 ただ、自分はおかしくない、狂っているのは常に他人だ、と思っている人にとっては、これほど面白い本も無いんじゃないでしょうか。特に、平山先生が実際の犯罪者や精神の不自由な人に対して入れる突っ込みは、言葉で商売をしている人ならではの面白さがあります。

 ただね。人って、そう変わらないものだから。
 個人差って、割と誤差の範囲で収まったりするようなところがあるから。
 他人事だと思って嗤ってるとね、実は自分自身の話だったり。
 することがありますよ。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:16| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

と学会的SF!? 短編集「アリスへの決別」読了

 みんな、かっこいいおっさんになりたいか! という事で、長編3は主人公がかっこいいおっさんになるまでの物語にしようかと思います。

 と学会の会長としても著名な山本弘氏の短編集「アリスへの決別」(ハヤカワ文庫JA)を読了しました。この短編集の前半には、そのと学会の会長という側面が強いものが収められています。その中で、タイムリーなのが表題作の「アリスへの決別」です。
 この短編、帯にも書いてあるのですが「行き過ぎた検閲社会の暴力が、非実在聖少女を葬り去る」という主題で、初出がロリコン雑紙「うぶモード」という媒体で、二号に別れての掲載、イラストとして町田ひらく氏の挿絵があったという事。挿絵も短編集に載せて欲しかった。
 それはともかく、現在の延長線上としての未来を舞台に現代の問題を描いた短編が半分ほどを占めています。それはそれで面白いのですが、個人的にはSFやファンタジーに求める「この世でないどこか」成分が少なめでどこか物足りなさを感じました。
 しかし、後半は少しシリアスな題材を扱った「地球から来た男」と、シーフロス・シリーズ(といっても現在は本短編集の二作のみ)とでも言うべき量子論的世界の冒険もので「この世でない(略」成分が増します。
 世界観設定からしてメタフィクションの仕掛けが作れそうなシーフロス・シリーズは、スティーヴン・バクスターの描く「物理法則の根幹が異なった世界」が大好きな私にはたまらない小説でした。ある程度の勉強を重ねていくと、単純なファンタジー物語では矛盾や底の浅さが見えてしまい、作品世界を素直に楽しめなくなると思うのですが、物理法則自体を(説得力を持って)改編してしまえば文句のつけようもなくなってしまいます。
 思うに、よくできたSFは子供の頃に楽しんだ胸の高鳴るファンタジーの代替物になり得ます、よね?
(SFに求める物が異なる読者だっているので、そう単純な話ではないと思うけれど)

 で……
 気になる事があるのですが、微妙にネタバレしてしまいそうな気がするので、「続きを読む」で一言。
続きを読む
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

現代戦の戦争体験「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト」上下巻読了

 南風が心地よく、頭が働かない一日でした。

 今年は太平洋戦争終戦(敗戦)65年目ということで、近年には珍しいほどテレビで戦争の番組を流していました。
 ところが、「風化させてはいけない体験談」として紹介されるのは、もはや祖父・祖母の時代の戦争です。日本軍上層部の無為無策で外地に孤立した兵隊の話か、戦争を終わらせるには敵国を戦略爆撃で灰にするのが近道と考えられていた「総力戦の時代」の、無差別市街地爆撃の話ばかり。
 銀色のB−29やグラマンという、どこか天からの罰のような抽象的な存在からの、一方的な虐殺といった感さえ覚えます。
 しかし、2010年現在、もはやB−29スーパーフォートレスはアメリカの大戦機保存組織が稼動状態に保っているごく一部を除けば博物館にしかいません。グラマンという会社も、ノースロップと合併してノースロップ・グラマン社になり、その名を冠する軍用機の中で華々しいのは爆撃機のB−2Aスピリットくらい。
 日本はというと、統帥権を軍に握られ当時の最大貿易相手であったアメリカやイギリスと開戦するという愚を犯した戦前と比べると、今は統帥権の独立どころか自衛隊の最高指揮官は「自分が自衛隊の最高指揮官だと、勉強して昨日解った」とかいうシビリアンで、防衛省には警察官僚が入り込んで自衛隊の動きを見張っています。自衛官は、決められた法律の範囲でしか行動する事を許されていません。
 むしろ、どこかから攻められた場合に、国に大きな被害が及ぶ前に政府から的確に命令が下されるかどうかを心配しなければならないでしょう。
 事程左様に、65年前と2010年現在は状況が異なります。
 私は、アフガニスタンで戦争が起こった当初、外電から入ってきた「アメリカ軍の爆撃機が、通常爆弾で絨毯爆撃をしている映像」を見て、この時代でもまだ絨毯爆撃なんてものが行われるのかと驚いたもんです(まあ、1991年の第一次湾岸戦争でも、アメリカ軍は砂漠のイラク軍陣地に絨毯爆撃をして、イラク軍から大量の投降者が出たのですが)。
 さて、取り上げた本書「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト イラク戦争決死行 上巻空爆編 下巻被弾編」(宮嶋 茂樹 著 祥伝社黄金文庫)です。書かれたのは2007年で、その文庫版となります。
 いわゆるイラク戦争、アメリカ軍の作戦名では「エンデューリング・イラキフリーダム」は、2010年現在では最新装備を持ったアメリカ軍が大規模な航空戦と地上戦を戦った最新の戦争です。その戦場の様相は、将来起こるべき戦いを予想したものとなっています。というのも、戦争というのは前の戦争で上手くいった戦術や作戦が使われるものですが、一方で戦場では様々な新兵器や戦術が試行される場でもあります。試みた事物の中から、有効だった兵器や戦術を次の戦争に取り入れていく、そうしてこの65年間で戦争は大きく様変わりし、またこれからも変わっていくのです。
 イラク戦争で顕著だったのは、少数の戦力を効率的に使った攻撃。特殊部隊や電波情報の収集などによって得られた情報を頼りにして、爆撃機や戦闘攻撃機で急襲させるというもので、バグダッドやその周辺を逃げ回るサダム・フセイン大統領とその側近を航空攻撃で暗殺しようと企み、また通信設備から優先的に誘導爆弾で破壊していきました。
 本書は、政府側近や重要施設の集まった首都バグダッドでのフリーカメラマンとしての体験記になっていて、現代戦での空襲下にある都市の様子が著者独特の軽妙な文章で描かれています。日本人が、外国人として戦争当事国を描くという構図が、程良く現地の感情と切り離されており、客観的な描写を可能にしているのです。
 日本人の戦争体験では、太平洋戦争では圧倒的な負け戦で悲惨な目に遭ったせいか被害者意識が目立っていて、ご当人の周囲にいらっしゃる方々の名誉の問題もあって、例えば滑稽なものや醜いもの、恥じるべきものというのは語られづらい傾向にあると思われます。この事は、戦史研究家の渡辺洋二氏の記事の中で、当事者が亡くなってからようやく語られるようになった話があるという事が裏付けになるかと思われます。
 また、この時期になると日本テレビあたりで放映される映画「蛍の墓」で、学童疎開によって弱者である子供が閉鎖的な田舎へと移住した結果の、村社会と個人の軋轢などが読み取れると思うのですが、そのような批評の内容を表立ってできるような風潮はありません。
 著者の宮嶋茂樹氏は、アメリカ軍の攻撃に晒されるイラク人を、碌でもないと表します(もっと下品な言葉で)。そして、イラク人、もっと言うとアラブ人が、いかに碌でもないかを描いていきます。
 イラクは長年、独裁者に支配された国家です。抑圧された政治状況が、国民を卑屈に、モラルに対して無関心にしたのかも知れません。中東の部族社会では、日本とは異なる信条や人間関係、金銭感覚が生まれるものと考える事もできます。
 しかし、イラク人の内面を取っ払って、目に見える部分だけを見ると、宮嶋カメラマンに嫌悪感を抱かされるような、滑稽で愚かな現象があるのです。
 自分の所属する共同体が、現代の戦争に晒された時に、彼らはどのように動き、どのような結果を迎えたのか。
 イラクという地に遠征してきたアメリカの兵士の様子や、様々な国からやってきたフリーカメラマンや記者達の虚々実々の駆け引きなども含めて、本書はとても読み応えのある戦争ルポルタージュだと思います。

 ちなみに、毒舌の苦手な方や、博愛主義者の方々におかれましては、本書は劇薬かと存じます。ご注意下さい。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

   アマチュア作家必読、目指すべき山頂を指し示す「小説の技巧」(デイビッド・ロッジ著)

 投稿小説の内容は徐々に方向性を定めていく。勉強すべきテキストを絞る事ができそう。
 家出中の友達猫に会いに行ったら、蚊の集団に教われて十箇所くらい刺された。近い場所をいくつも刺されると、痒みではなく痛みを感じた。

 普通、小説の書き方を記した指南書というものは、小説が備えるべき最低限の要素を教える物です。しかし、初心者が陥りやすい問題を列挙する事で、してはいけない事のリストが膨大にできあがります。
 それはそれで大変に有意義な内容なのですが、問題はその先、アマチュア作家はナニを目指すべきなのか。目標にすべき高みは、具体的にどんな場所なのか。どんな文章を書くべきなのだろう。
 この「小説の技巧」(デイビッド・ロッジ著 白水社)は、様々な小説の一部分を抜き出し、その小説はどうして面白いのか、を説いた物です。小説には、細部に散りばめられた技巧が存在します。多数の類語からの単語の選び方、内容を引き立たせる文体、一人称と三人称とで異なる工夫の仕方、ガジェットの引き立たせ方、作品世界の中で書くべき事、書かざるべき事、等々など。
 さて、とばかりに原稿に向き合った時、自らの書こうとする場面や世界を、どのような単語で書き示すべきか。小説を書く作業というのは、この選択の連続なのですが、偉大な作家と呼ばれる方々がどのような単語を選び出して作品を作り上げていったのか、この「小説の技巧」の中で解説されています。偉大な作品を作り出すためには、どれほど考え尽くさなければならないのか、という事でもあるのですが、これは足元をひたすら見つめて険しい登山道を行く人間の眼前へ、にわかに光り輝く山頂を露わにするようなものです。
 私の場合、この本を読んだ後で、
「とりあえず、どのくらいの苦労(単語の選択、その配慮)をすれば、素晴らしい小説と肩を並べる作品が作られるのか」
 という事を知る事ができ、遙か彼方の山頂と自らの位置に慄然としながらも、足を止めなければ辿り着けるという実感を得る事ができました。
 少なくとも、山頂の方向は把握できました。
 あなたはどうですか? 霧の中で戸惑っていませんか? 足を止めていませんか?
 目指すべき山頂を、見上げる事ができますか?
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする