2016年06月11日

炎上問題は今に始まったことではないだろう?

 さっき、アニメをBDに焼く作業をしていた合間、NHKの討論番組でネットの問題を扱っていた。断続的にしか観ていないけれども、ネットの炎上についての話を聞いた後には色々と考えた。
 そもそも、この炎上という問題、インターネットが広まるずっと以前から日本人がずっと気にしていたものである。例えば、旧家にある座敷牢は、生まれつきに障害を持った子供とか、外で問題を起こして取り返しのつかなくなった家族などを閉じ込めておき、家の悪い噂を絶つために使われていた。忌まれたのは、世人の噂、評判であった。
 更に古い記憶を掘り起こすと、「源氏物語」の作中で六条御息所は体から自らの生霊が悪さをしに出ていくのを感じて、一番問題に感じたことは「何でもないことでも悪口のネタにしてしまうこの世の中で、こいつはどうしたものか(超意訳)」というものだった。
 古くから日本人は、自分が生霊になってしまうことや、自分が悪さをすることよりも、悪口のネタにされること、すなわち炎上することを恐れていたのだ。
 結局、井戸端会議なのかネットのSNSかの違いだけで、日本人のやっていることは昔から変わっていないというのが、私の中での結論になりました。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | おたく的批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

ミネベアのシェア

 先日の池上彰さんの番組で、なんとも古臭い話だが、軍産複合体がけしからんという話題をしたらしい。その影響か、武器を売っている会社の不買運動をしようと意気込んでいる方々がいるという。
 三菱やら日立やら、思い浮かぶ企業はいくつかあるけれども、個人的には「ミネベアの製品を使わないで、日常を過ごせるつもりなのか?」と問いたい。
 ミネベアは、私のサイクリングコースで片瀬江ノ島から藤沢駅前へ抜けるコースの途中にネジ工場があるので思い浮かんだのだけれど、ここは防衛省や警察向けに拳銃のライセンス生産にも取り組んでいる。
 ネジか、あちこちに使われているんだろうな、と思いつつ会社のHPを見てみると、本業はボールベアリングのようで、小さなボールベアリングだと世界シェア6割、HDDの部品では75%のシェアを誇っている。高級スマホの液晶用部品でも7割のシェア。
 こいつは凄い。ミネベア製品無しではネットもできなそうだ。

 別に企業は武器を作りたくて技術を磨いているわけではなく、先端技術を磨いていく中でその先端技術を求める防衛省とも、取引先の一つとして仕事をしているだけで、武器を作っている=死の商人というイメージは色々と本質を見誤っているように思える。
 というか、冷戦終結後の防衛関係企業は、アメリカだと不景気でぽんぽん買収が行われて、戦闘機メイカーなどもううぐボーイングがF/A−18とF−15の生産を終えるとわずか二社になってしまう。日本でも防衛から手を引く会社が増えてるので、F−35の採用条件として国内でできるだけ部品を作れるよう(国内に仕事を回すよう)交渉した経緯もある。軍産複合体が政府を牛耳るなんてのは、遠い昔の話ですよ。
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2016年02月17日

具体的な敗戦の理由

 ツイッターのまとめで申し訳ないのですが、第二次大戦での日本の勝てなかった理由の一端がわかるものがありました(リンクはこちら:http://togetter.com/li/937772)。
 簡単に書くと、国の化学工業の大きさが、爆薬の作れる量を決めるという話で、日本では化学工業の規模がアメリカと戦争をできるだけのものがなく、優秀な爆薬を作れる技術もなかったので、水上戦闘の切り札でもある酸素魚雷の弾頭には輸入品を使っていたとかいう話です。
 日本が大戦に負けた理由として、教育やマスコミで語られるものとしては、植民地を作るという帝国主義が時代遅れだったとか、軍隊が人命を軽視していたとか、そもそも日本人や大戦までの歴史文化が悪い物だったのだとか、具体的に理論を組み立てられるようなものではなく、ともすれば大戦中のかつてのプロパガンダ「鬼畜米英、恐るるに足らず」「臆病な米兵に負けるわけがない」みたいな精神論を、方向性だけ反対に向けただけの、これまたプロパガンダに過ぎないようなものだったりします。
 歴史というのは、勝者の正当化を目的に編まれているようなものなので、日本が悪いという論調のものは、戦後の進駐軍にとって日本を統制するには必須だったものです。しかしそれは、理屈ではありません。
 敗者としては、歴史に書かれない事物を追い求めないと本当のところはわからないのでしょう。その、本当の理由の一つが、これ、のような気がします。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | おたく的批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

南スーダンの話

 昨日、録画しておいたMXの「バラいろダンディ」を観ていたら、室井佑月さんが「集団的自衛権で、南スーダンの中国軍を守ることになる。おかしい」てな話をしていました。はて、南スーダンの自衛隊は国連平和維持活動(PKO)で派遣されているはずだ。どこの馬鹿に吹き込まれたんだ、と思っていました。
 この馬鹿でした(http://togetter.com/li/877311)。
 国連PKOの同じ部隊なら、中国軍だろうと友軍じゃないですか。そりゃ、南スーダンの暴動や内戦が収まれば、当地に進出している中国企業にはプラスになるでしょうけれど、内戦は南スーダンの国民全体を覆う問題なわけです。
 日本は、中国にダメージを与えるためなら外国の国民が餓えようが死のうが関係ない、中国に損をさせるために南スーダンの人々は死ね、とかいう武闘派じゃありませんので、どこの国でも乞われれば援助したり助けるわけです。だから南スーダンの人々を助けるし、国連軍の仲間である中国軍も法律が許す範囲で助けるのです。
 他国とはいえ人の生死が関わっている問題を利用して、政権与党をこきおろす言説を説くのはちょっと質が悪いと思いました。なのでここに書いておきます。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | おたく的批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月07日

ケータイ小説一言考

 今日も天気が悪いので資料仕事。別の資料にあたった後、文体を変えるかどうか考え込む。

 先日、小説技術の本を読んでいて思ったのだけれど、ケータイ小説が流行った理由は、読者にぴったりと合うような書簡体小説だったからだろう。当時、良質な批評に行き当たったことがなかったのでわからないけれども、同じように考えた人はいるだろう。
 書簡体小説というのは、今まさに手紙を書いているところ、といった体で書かれた小説のことで、臨場感があることから過去に一大ブームになったらしい。
 手紙でブームになるなら、携帯電話でもブームを作れるだろう。
 それで、それまでに小説を読んだことの無い人に、初歩的ではあっても小説を読む面白さを教えることができた点で、実は画期的だったのではないかとも思った。後出しじゃんけんみたいな考察だが。
 残念なのは、ケータイ小説にはまった人向けにもっとディープな小説へと誘導するメディアが現れなかったこと。真面目な論考を読んだことがないと書いたが、同様に第二次ブームを起こそうと努力した書き手も現れなかったようにも思われるのは、書き手の側でもやはりケータイ小説を真面目に考える人がいなかったからなのではないか。

 今は「小説家になろう」のような投稿サイトも現れたが、あそこは潜在的な書き手=アマチュア作家が読みに来るところという点で、ケータイ小説とは異なるジャンルだと思う。ケータイ小説は、書き手になることなど考えたことがない層へ小説を読ませたという点で、現在でも替わるものがないユニークな存在だった。「小説の技巧」を読んでいて、そう感じた次第です。
posted by 匿名希望の茅ヶ崎人 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | おたく的批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする